最近でこそ、ベンチャービジネスで一旗あげた人たちがスポットライトを浴びるようになりましたが、やはり「個人が起業」するというのは大変なことです。特に、私が在宅医療を対象とした薬局の立ち上げを計画し始めた10数年前は、在宅患者さんに薬を届けるという形態が一般的ではなく、起業する個人に対しての金融機関の貸付制限も厳しかったので、誰に話してもあまり相手にしてもらえない状況でした。

 

そんな中、製薬メーカーのMRをしていた私と、当時から親しかった現在の肱岡エリア長、他社の薬局勤務だった現在の城尾部長の3人は、仕事が終わった後にファミレスで集い、起業に向けた熱い想いを語り合っていました。

 

 

夢を夢で終わらせないために、まずは薬局開業に向けた「ベース」を作らねばなりません。私は個人名だけ載せた名刺を作り、仕事が終わった後や休日を利用して院内処方の病院に飛び込み営業しまくりました。しかしながら、まだ30歳にも満たない、しかも個人の名刺しか持っていないような兄ちゃんに処方せんを出してくれる病院など無く、福岡市内のクリニックはほぼ100%回って、それでもダメだったので地方の医療機関に飛び込み、それでも相手にしてもらえないありさま。 一応、口約束をしてくれたところも数軒あったのですが、別の薬局が先に決まったからゴメンと言われたり、地方銀行に勤務していた高校時代の同級生に頼み、私が医師を連れて行ったのに別の薬局を紹介されたり…といった状況が2年ほど続きます。「応援するよ」と言ってくれていた友人たちも、いざ起業するとなると半分くらいに減ってしまいました。

 

しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」とはよく言ったものです。100枚くらい処方せんが出る見込みで1年間ほど通っていた、鞍手町のとある医院さんから、いったんは断られたものの、事務長から「何度も通っていたきみを断るのは、可愛そうだったから」と電話をもらい、廃業しようとしている太宰府の薬局の情報をいただきました。

 

とうとう念願の開業が見えてきました。私と肱岡エリア長は同じ高校の出身であり、そこから社名に名前をいただき「Hyuga Pharmacy」とすることに決めました。薬局名を響きと親しみやすさから「きらり薬局」にしようとアイデアを出したのは肱岡エリア長です。弊社の創業店舗である太宰府店は2008年1月に開局を迎えました。気づけば起業を考えて3年が経過していました。