年間売り上げが5億円代に達し、“油断すると潰れるかもしれない”という経営状態から脱却したのが、この年あたりから。福岡県内の同業者の間でも、きらり薬局のネームバリューはそこそこ高まってきたのですが、その一方で、当社の急成長を妬んで、あちこちでひどい悪口を言う人たちも増えてきました。やれ「黒木はカバンの中にワイロ用の金を入れて営業回りしている」、やれ「施設には患者1人あたり3000円のリベートを払って仕事を取ってきている」など、もはや言いたい放題。もちろん、事実無根のハナシです。

 

言いたいヤツには言わせておけば良いと思いましたが、とある会合に呼ばれた際、「きみがこの地域を荒らすんじゃないかと懸念している。実際、訪問看護で荒らしているんだろ」と言われた時には、正直なところ閉口しました。どうも、悪い噂があちこちで広まっていたらしく、中には脅迫まがいで当社を排除しようとする人もいました。患者数分のリベートを払っているという噂を真に受けたのか、とある大手の施設から7〜80人分の処方せんを受ける相談をした後、「リベートを払わないのか?」と、取り引きが無くなったこともあります。

 

 

そんな事件がたびたび起こったものの、脅迫めいた圧力を受けて撤退せざるを得ない状態になった施設の方から、「そういうことは薬剤師業界の都合で、私たちは薬局を選べなくなるんですか?」と言われてハッとしました。それからは、どんなに圧力をかけられても受け流そうと決心しました。あれだけ苦労して立ち上げた会社なのですから、こんなところで負けるわけにはいかないのです。私や、創業当初から一緒に働いている仲間たちの気持ちの中に、「あれだけ苦労したんだから、自分たちは絶対に負けられない」という気概があることが、現在のHYUGAの土壌なのだと心強く感じます。

 

現在(2021年10月)35拠点あるきらり薬局グループの店舗のうち、9ヵ所はM&Aで自社店舗にしたものですが、この年にオープンした南福岡店は、当社にとって初のM&Aによる出店。弊社社員が、たまたま院内処方の営業で飛び込んだクリニックさんから、「ここの薬剤師が独立起業したがっているらしい」と、紹介された物件です。もともと、現在の半分ほどの広さだった店舗を当社が買い取り、南福岡店としてオープンさせました。

 

 

この頃は私を筆頭に、弊社の社員の多くは仕事が最優先で、忙しければ残業も早出も当たり前、『ジタンって何ですか?』…といった働き方を続けていました。しかし仕事がきついと退職者が相次いだことから、社員のライフ・ワークバランスや、家族と過ごしたり自分自身のために費やしたりする時間を増やすファミリーフレンドリーについて、真剣に考えるようになり、「勤務形態希望届制度」を策定することとしました。私は趣味「働くこと」と答えるほどの人間ですが、プライベートな時間を大切に出来てこそ社員もいきいきと働けるのではないかと考え抜いた結果です。顧客に「元気」を届けるには社員がまず元気でなければなりませんからね。

 

弊社の「連携部(現在の医療介護連携部の前身)」を発足させたのもこの年ですが、それも、個々の社員の働き方を見直す一環です。創業当初は私が、そして私が忙しくなって手が回らなくなってきてからは、各店の薬剤師に任せていた外回りを、そろそろ別の部署を作って専業的に取り組もうと考えたわけです。当時は太宰府店にいた井本部長を連携部第一号に選び、大野城店の休憩室で3日間ほど、みっちりと研修を受けてもらい、薬剤師営業マンを誕生となりました。今までの経験を活かし、薬剤師が違うフィールドで活躍できる場が増えたことも大きな一歩でした。