鞍手の医院さんからご紹介いただいた、廃業間近の薬局を私が買い取って晴れて創業…という運びになるはずでしたが、ここでまた難題が発生します。薬局を引き取るわずか2日前、前オーナーが「借金が返せなくなったので自己破産する」と告げてきたのです。借金の額と、オーナーの奥さんも連帯保証人になっている書類を見せられ、私は愕然としました。

 

売買契約を締結する前に自己破産されたので、当然、建物は裁判所の管理下におかれ買い取れなくなります。私はすでに、ここで薬局を運営する予定でしたから、もう後には引けない状態。結果的に2008年の1月から7月までは、裁判所管轄で建物所有権が決まらないまま、この薬局の業務だけ引き継ぐ形の営業を行いました。

 

その間、薬局には、銀行の依頼を受けたサービサー(債権回収担当者)が頻繁に顔を出し、色々な揺さぶりをかけてきます。最終的には私の買い取りが成立しました。

 

さて、危なっかしい離陸を成功させたきらり薬局太宰府店でしたが、なにしろ潰れてしまった薬局の後を引き継いだのですから、誰もが『どうせまた潰れるだろう』と予想していたようです。せっかく創業したのに、今度は医薬品卸の会社が薬品を卸してくれません。しょうがないので、製薬メーカー時代の上司に同行いただいて、現在もお付き合いのある卸さんから、100万円分だけ卸してもらう約束を取り付けました。 倒産するような薬局ですから、毎月が赤字の連続。資金が底をつきかけ、国民金融公庫(現在の日本政策金融公庫)から融資を受けようとしましたが、実績がないので貸してくれません。

 

結局、実父に頭を下げて宮崎県の実家を担保にし、叔父に保証人になってもらい、さらに銀行員を営業車に乗せ、在宅患者さんに薬を届けている様子も確認してもらって、ようやく数百万円を用立てることができ、薬も卸してもらえるようになりました。 ただ、実家を担保にして融資を受けたのですから、両親を精神的に追い詰めたのは間違いなく、「あなたがもしもお金を返せなくなったら、私たちはこの家から出て行かなければならないのだからね」と、母親に言われた言葉はズッシリと胸に響きました。そして、その光景は今も鮮明に脳裏に焼き付いています。